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2005年6月24日 (金)

〈華やぐ女たち〉

仕事に無理矢理ひと区切りを付けて、「華やぐ女たち エルミタージュ美術館展」を観てきた。出展作品55点、その内、少女と共に描かれた少年ひとりを除けば、あとはただひたすらに女性のみ、まさに圧巻! 久々に図録も購入してしまった。もちろん絵はがきもしっかり買い込んだ。
そう、ひとくちに「美」と言っても、その内実は実に多様だと改めて実感する。いわゆる美形というよりは、むしろチャーミングと評すべき女性たち。当然ながら、最近あちこちで見かける「栄養失調気味の青白い蚊とんぼ」などいるはずもない。ほんのり赤みを帯びた頬、首から胸にかけてのゆるやかな曲線、思わず溜息が出てしまう。
かつて、「男の顔は履歴書」とのたまわった某評論家は、「女の顔は領収書」とつづけたそうだけれど、中身の充実度を伺わせるその豊かな表情は、「品質保証書」と評すべきだろう。それにしても、「領収書」とは、何ともいやはや。
表情のみならず魅せられるのは、髪型や髪飾り、纏う衣装を描く繊細な筆致である。エカテリーナ2世の孫娘にあたるエレバ・パヴリーヴナは、8歳と10代前半、ふたつの時期にモデルとなった肖像画が残されていた。観る者を魅了せずにはおかないその愛らしさは、とても言葉に言い表せないので、ぜひとも実物をご覧くしかない。
そして彼女の魅力をより引き立たせている衣装については、祖母エカテリーナ2世の意見が大きく反映されたという。当時はやりのゆったりとした直線裁ちの衣服(チェニック)ではなく、コルセットで締め上げられた上着と大きく広がったスカートというオーソドックスなスタイルは、おばあちゃまの好みだった。ただし髪型だけは、自然に垂らした新古典主義時代に好まれた流行のスタイルとなっている。画家のささやかな抵抗?なのだろうか。
とは言え、彼女はこの後、15歳で貴族に嫁ぎ、19歳の若さでこの世を去ったという。そうした後日談に接すると、こぼれんばかりの魅力的な笑顔が、彼女の短い人生のなかの、一瞬の煌めきであったことを知る。そして、絵画を通してとはいえ、今日その奇跡的な一瞬に再び立ち会えるシアワセを思う。
さてさて、女性ばかりで興味が沸かないという男性の皆様にひとこと。この展示を企画した学芸員さんは、まごうことなき男性であり、わたしの勤務校にある美学美術史研究室の卒業生だそうです。どうです?ちょっと覗いてみる気になりませんか。

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2005年6月19日 (日)

まずはひとつ、終わりました。

土日と勤務校を会場とした学会の手伝いに出校した。今回の参加者は100名を少し超えたくらいだろうか。助手になって初めての年には、参加者700名を超える学会があり、お札が飛び交うなかで資料集を販売した。学会が終わった翌日、「次は20年後くらい先だから、もうどこに転出してくれても良いよ」と某教授に言われたっけ。転出できぬままに早ウン年。関わった学会も、結構な数になる。その影響か、他校で開催される学会に出席しても、何となく落ち着かない。お手伝いの学生さんを見かけると、ちゃんとアルバイト代もらえるのかな? お昼はしっかり食べたのかな? などと気になる。彼らは若くて体力がある分、ケロッとしたものなのかもしれないけれど、こちらとしてはとっても気になる。結局は年をとったということか。
今回の学会は、私自身は会員ではないけれど、修士課程に入ったばかりの頃、研究会でお世話になったり知り合った、なつかしい顔にいくつも接することができた。あれからずいぶんの月日が経つけれど、みなさん、ごくごく自然に声を掛けて下さる。何気なく受付にいるだけで、すぐに気付いて下さるということは、「私って、もしかして、あまり変わっていないのかも?」 と少々図々しくも思った次第。まあそのくらいの錯覚?で、多少は気持ちを浮き立たせないと。
そう、まだまだ「次」が控えています。今夜はしっかり休んで、明日からまた、準備に取りかかることにしましょうか。

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2005年6月12日 (日)

三文安(3)

主役は尾上菊之介、静は藤純子。(話しは逸れるけど、このドラマが縁で結ばれて、生まれた子どものひとりが寺島しのぶ。彼女はイイ。女優としての根性の座り具合は、お母さんよりはるかに上、ずっとイイ。藤純子の久々の映画出演で話題になった「あ・うん」。見ていないけれど、やっぱりあの役はテレビ版の吉村実子の方が良いのではないかな?)

さてさて、当時自宅にテレビは1台、チャンネル権はたぶん祖父にあって、日曜夜は大河ということだったのでしょう。銭形平次や鬼平(もちろん先代ね、白鴎の方)はしっかり記憶に残っているし、雷さまの眠狂四郎だって、鮮明だけれど、この「義経」は他の場面の記憶はないから、たぶん最終回?だけ見たのかもしれない。なんせ幼稚園にも入っていない頃だもの。
とは言えやっぱり、弁慶の立ち往生は幼心にも印象に残った。白黒だって、弁慶はその点、大差ないし。演じるは緒形拳。NHK大河で緒形拳というと、すぐに思い出すのは「猿(秀吉)」だけど、それはいまは置いておいて~。そう言えば、高橋幸治ってどうしたのかな~?(分かる人だけ分かって下さい)。
ちょっと調べてみると、このときの頼朝は芥川比呂志、常磐御前は山田五十鈴。私、俳優としての比呂志さんを見損なったこと、しっかり悔やんでます。時代的には仕方ないのだけれど・・・・。このときも記憶にない。やっぱり弁慶しか頭に残らない私はガキだったな。ところで映画「流れる」はビデオになってるのかな? たしか山田五十鈴が芸者置屋のおかみを演じているはず。これはぜったい見ねば!!

何はともあれ、この40年前の「義経」が講座のまくらに使えて、おおかたの皆さんが頷いて下さって、まずは良かったです。あと9回、頑張ろう~。

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三文安(2)

事前に学芸員さんから、例年、皆出席者の方々には記念品と「講師直筆の色紙」が贈られ、それはみなさんに「好評」なので、「今年も一筆」と言われました。でも、それは無理ってものです。考えても見て下さい。腕に覚えのないわたしのヘナヘナした字が、「記念品」になってしまうなんて。昨日の聴講生のみなさんを拝見する限り、すぐに捨てて下さるとは思えません。隣近所の奥さんに、一度は披露される、盆正月法事なんぞとくれば、親戚一堂に披露もあり得るし。もうこうなったら、自腹を切って平家関連の記念品を探すしかありません。それで勘弁していただくしかない。
思えば書道、ちゃんとやっておくべきでした。祖父と通った書道教室、毎度毎度、書家と祖父、注意はふたり分でシンドクて、止めてしまいました。まあ所詮、私は「三文安(さんもんやす)」ですから。両親共働きで、昼間はジジ・ババと過ごしていた私は、よく「三文安(← 甘やかされて育つから、売っても普通の子どもより三文安い値段しか付かない役立たずということ)」と周囲の大人に言われておりました。ただそんな三文安が、今回ちょっと役に立ったのです。

そう、この講座のお話しを頂いて、すぐに思ったのは、「あぁ、NHK大河ドラマ見ていない!マズイ!!」ってこと。ならば途中からでも見ればよいのだけれど、そこはへそ曲がり、「いまさら・・・」ってことで、今日に至る、でありました。とは言え、ぜんぜんドラマにふれないのも味気ないし、ならばと思い出したのが、1966年放映のNHK大河。(えっ、40年前、そんなの~って言ってるアナタ、いいよ、ここで読むやめて。)

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三文安(1)

斎宮歴史博物館に行ってきました。縁あって、この6月から来年3月まで月1回、古典文学講座を担当することになったのです。昨日はその第1回目。いやぁ、緊張しましたぁ~。事前に伺ったところでは、定員200名に対して400応募があり、抽選を行った由。常設の椅子は160で、補助椅子も出てました。
それにしても、松阪から各駅停車の普通で最寄りの斎宮駅まで約10分、そこから徒歩で15分、緑豊かなこの静寂の地に、いったいどこからみなさんいらっしゃるのでしょう。土曜の午後、扱うのは軍記ということで、年配の男性が多いのではないかと想像していたのですが、やはり文化講座は圧倒的に女性が多いです。ちょうど真ん中の席で、ノーベル賞受賞者小柴さんに似た風貌体格の方が、最初から最後まで天を仰いで寝ていらっしゃいました。熟睡は館長挨拶から始まったように見えたので、聞くに値しないという無言の抗議という訳ではなさそうですが。あとで学芸員さんにそのことを話したら、「いえ、きっと、自宅に戻られたら、今日は平家の話を聞いてきたと、自信を持っておっしゃってるはずですよ」と。そんなものかもしれません。まあ、概して、男性、とくに年配の方は表情が硬いですね。一方女性の方々は、とにかくひとつひとつ頷いて下さって、有り難いことです。
帰り道、斎宮駅のホームにやって来る方のほとんどが、「あら、センセ」と挨拶して下さいます。反対側のホームの方まで丁重なお辞儀。ホント、恐縮です。地方巡業の一座が小屋をたたんで町を離れるときって、こんな感じなのかな?一応、舞台に立つ人だからと馴れ馴れしくはしないけれど、「聞いてたわよ~、次も頑張ってね」ということかなと。
「最近わたしら、家内ではなく家外ですぅ~。月1回が楽しみで。ぜえ~んぶ出席すると、ご褒美もらえるんですぅ。今年はおんなのセンセで嬉しいですぅ~なぁ~」。(一堂頷く)。そう言って頂けるだけで感謝です。とは言え、そのご褒美が実は目下の問題なのです。

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2005年6月 5日 (日)

懐かしの戸越銀座。

先週の土日、学会出席をかねて久々に東京に行った。会場の青山学院大には2日目の午前中、シンポジウムのみ滞在、私にしては長時間!の部類だな。
初日は国文学研究資料館で展示を見てから、じゃなくて、見る前も後も、戸越銀座をぶらぶら歩いた。資料館は正直オマケ。学部生数名を引率した先生方が、解説をしていらっしゃった。休日も、ご苦労様です。
そう、目指すは戸越! 懐かしい、うきうきしちゃう♪ 日本中にある「○○銀座」発祥の地が、この戸越銀座だって聞いたことがあるけれど、ほんとかな? 1軒1軒単独ならば、ゼッタイに潰れているはずの古びた店も、商店街となれば持ちこたえられるんだよね。空き店舗の再利用なのか、狭い空間で子どもたちが柔道を習ってた。多少手狭でも、どのみち子どもは少ないし、道行く人も足を止めて眺められるから、楽しい。道の半ばまではみ出して売られている野菜を買おうとして、「あっ、今日はホテル泊まりだったんだ」と諦める。ちょっと残念。これで、新聞紙を糊付けして作った袋の束と、蠅取りの用の茶色いべたべたした短冊状のもの(←名称をご存知の方、ご教示下さい)が、天井からぶら下がっていたら、完璧なんだけど。

学会は50周年記念ということで、シンポも4つの分科会に分かれていた。私が参加した分科会は、事前の人気投票では第3位だったそうな。何でかな~? まあ、人それぞれってことか。予定時間は3時間だったけれど、ほんの「まくら」で終わった気がする。不完全燃焼。やるなら徹底的にやろうよ、と言いたいけれど、まあそれは、個々人でやるしかないのだろうな。

「まくら」でふと思った。あの空き店舗、たしか畳敷きだったな。ならば、ちょいと「一席」やれば良いのにって。あぁ、しっかりクドカンに、のせられてます・・・・・。

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