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2005年8月14日 (日)

日曜の朝。

いつものごとく「いつみても波瀾万丈」を観た。今朝のゲストは「弘道おにいさん」。「それ、誰?」という方のために解説をすると、NHK教育テレビで放映されている「おかあさんといっしょ」という番組で10年以上「体操のおにいさん」役を担当してきた佐藤弘道さんのことね。
彼、「おかあさんといっしょ」は降板したのに、仕事が増えているらしい。「だんご三兄弟」でいっとき露出度が高かった「けんたろうおにいさん」(←うたのおにいさん役の速水けんたろうさん)もテレビではほとんど見かけなくなったことを思えば、弘道おにいさんの活躍はちょっと異例とも言える。
じゃあ、誰がその人気を支えているかと言えば、子どもじゃないんだよね。子どもにかこつけて一緒に見ているおかあさんなわけ。もう、子どもそっちのけで、しっかり至近距離からカメラ片手にカシャカシャだもん。「どこが良いんですか?」と尋ねられて、「カラダ」と答えていたハハもいたもんな、なんだよ、それっ?!
たしかにね。さすがのNHKは露骨にそのあたりを狙っているわけではないから、今回はたまたまなんだろうけど、同じく日曜の朝に放映している「○○レンジャー」シリーズや「仮面ライダー」シリーズを見れば番組制作者側の意図がよく分かる。
ピンクレンジャー役が妙に色っぽかったりするのは、父親狙いであること見え見えだし、事実番組が終われば男性誌の表紙を飾ってたりするでしょ。容貌重視ではないよね、カラダにぴったりのレンジャースタイルが問題なわけ。いっぽう、最近のライダー役は番組終了後ドラマに進出するでしょ。こちらの火付け役はおかあさん。顎の貧相な逆三角形イケメンね。本人が登場する仮面ライダーショウなんて、ジャニーズの追っかけと見まごうばかりの激烈な死闘が繰り広げられてるらしいし。
それにしてもな。子どもにかこつけなくてもいいんじゃない?!って思うよ。まあ、あざとい父親狙いはそれとして、あの、弘道おにいさんの健康的で人畜無害そうなところを免罪符にしたいんだとしたら、それは「冬ソナ」以上に手抜きじゃないの? 自分の好みくらい、気合いを入れたらって思うけど。
でもな、ずっと以前、1週間を通して夫以外に口をきいた男性は?と問われて、漸くひとり、クリーニング屋の店員さん、と答えたっていう主婦の話を聞いたことがある。それを思えば、仕方ないのかもな~~。


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2005年8月10日 (水)

行ってきました!沖縄(2)。

玉陵、首里城に続いては、平和祈念資料館とひめゆり平和祈念資料館を訪れました。平和祈念資料館に入るとすぐに目に入ったパソコンの前で、子どもが早速検索をし始めました。沖縄戦で亡くなった方の名前が検索できるもののようで、「愛知県」と入力したらたちまち何人かの名前が挙がったよと言っていました。各展示室を見て回るうちに、気付けばアメリカ人と覚しき人が、ひとり、またひとりと、わたしの傍らで展示物に見入っています。思わず不思議な感覚にとらわれました。屋外に並ぶ石碑には、敵味方を問わず、この沖縄戦で亡くなった方々の名前が刻まれていました。
この平和祈念資料館からひめゆり平和祈念資料館に向かう途中、数軒の荒家を目にしたとき、「一家全滅した家ですね」と運転手さんが教えてくれました。誰ひとり、後始末をする者さえ残らぬ家々がいまも点在している現実の前に、改めて胸が痛みました。
そしていよいよ最も訪れたかったひめゆりの塔です。ここで初めて、「ひめゆり」の名は植物のひめゆりには関わりのないこと、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校、それぞれの校友誌である「白百合」と「乙姫」に由来することを知りました。
ガス爆撃によって多くの犠牲者が出た伊原第三外科壕(ひめゆりの塔)のジオラマを前にして、こんな暗く狭い場所に彼女たちは押し込まれながら、傷病兵の看護に当たっていたのかと立ち止まっていると、すっと年配の女性が現れ、「あのときのこと」を語り始めました。
日本軍とともにこの地に連れてこられた学徒たちは、突然の解散命令により米軍が包囲する戦場に放り出されます。「名誉の戦死」「靖国に祀られること」さえも許されないと告げられたときの絶望感、そして怒りを、彼女の口から直に聞くことができたこと、それはわたしにとって、この旅での何より貴重な体験となりました。
この資料館を造るに当たって、「公的な援助はいっさいうけていない」という毅然としたひとことがとりわけ印象的で、ひめゆり部隊の追悼式に出席できるようになるまで、25年の歳月が必要だったと語った彼女の心中を想像すると、ただただ涙するしかありませんでした。

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行ってきました!沖縄(1)。

夏が苦手にもかかわらず、子どもとふたり、はじめて沖縄に行ってきました。できれば北海道が良いと思っていたけれど、それでは海で泳げない!と却下されての3泊4日でした。とは言え、この国が多少なりと「死の香り」を身近に感じるこの8月に、沖縄を訪れたのはやはり良い経験でした。
滞在2日目、5時間で1万円、行き先自由というタクシーを予約し、首里城とひめゆりの塔へ。宿泊先が読谷村だったので、那覇まで1時間弱、目的地は那覇の南ですから移動だけで1時間以上かかります。通常旅行客はレンタカーを利用する人がほとんどだそうですが、いくらナビが付いているとはいえ、知らない土地を走るのは運転が苦手の私にはストレスでしかありません。幸い親切な運転手さんに出会えて、玉陵(たまうどぅん)や平和祈念資料館、そして公設市場までも案内していただき、充実したひとときを過ごすことができました。運転手さんによれば、沖縄のタクシー総台数はレンタカーの3分の1、年金生活者のアルバイトという場合が多いそうです。そのせいか、車中での会話もゆったりしていて、幸いでした。
たとえば、運転手さんの案内がなければ、世界遺産に登録認定されているとは言え、玉陵に立ち寄ることはなかったでしょう。玉陵に向かう車中で、運転手さんから「洗骨」という儀式のあらましを初めて聞いたので、とくに墓室や蔵骨器には興味を感じました。ちなみに「洗骨」とは、亡くなった方の遺体を安置しておき、次に親族の誰かが亡くなった際に、先の遺体を洗い、遺骸を蔵骨器に納めることを言います。両者の期間か長ければ、つまり白骨化が進んでいれば良いのですが、期間が短い場合、運転手さんの言葉を借りれば、「よほど身近な親族でなければ、なかなかできない辛い儀式」となるわけです。
玉陵の展示室にあった蔵骨器は、やはり歴代国王およびその親族のために作られたものですから、美しく立派な美術工芸品という佇まいでした。かつて運転手さんは「内地」で、この蔵骨器がお宝として飾っているお宅に立ち寄ったことがあるそうです。蔵骨器には納められていた遺骨の主の名前がはっきりと記載されていますから、それが単なる美術工芸品ではないことは明白です。購入した側もそれが何であるかを重々承知しつつ、飾っていたから驚いたと話していらっしゃいました。まあ何とも罰当たりなことです。

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