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2005年9月19日 (月)

シアワセを思う。

久々に寝っ転がって本を読んだ。そのなかの一冊に、こんな箇所があった。

今の私たちが当たり前だと思っているさまざまな人間関係が、実は制度によって支えられているのだということを知る必要がある。
私は、それが教養というものだと思う。カルチャーセンターに行って、『新古今和歌集』の歌を覚えたり、俳句をつくったり、油絵を描くことだけが教養ではない。(注1)

   ・・・・・中略・・・・・

「血」がなくなると人間は死ぬ。「知」がなくなれば、人間は操り人形になる。
知識は、自分が確信したものを揺るがす。揺るがされるということは、いつまでも若いということだ。
「男(女)というのは、そういうものだ」と言ったとたんに、そのひとはたとえ二十代でもオヤジになる。
「だって、結婚はするものでしょう」と言ったとたんに、そのひとはオバサンになる。
安定しているようで、揺らいでいる。なぜ揺らぐのだろう・・・・・というふうに、いつも思っていることのほうが、一本十万円のコラーゲンを注射するよりもあなたを若返らせる、ということなのだ。(注2)
揺らぎつづけるために有効なのが、異議申し立ての発想であるフェミニズムだろう。男性たちは、フェミニズムの「フェ」と言っただけで、「ヘッ」と言って拒絶するが、「これでいいのか」という異議申し立ての思想は、男にとってもオヤジにならないために必要なことなのに、といつも思う。(注3)

                                   (信田さよ子『家族収容所―「妻」という謎―』)

(センツル注1)
 古典もできるだけやって頂けると、それで食ってる身としては有り難いです。
(センツル注2)
 でも、ちょっと興味ある。一本一万円なら試してみるけどな。
(センツル注3)
 まっ、思わない人は思わないし、それは男性に限りませんね。さよちゃんは優しいです。
 私は、近寄らない、関わらない、だけで精一杯です。

いずれにしても、本が読めたこと、締め切り前に、仕事をひとつ仕上げられたこと、ほんと、シアワセを思う連休でした♪

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2005年9月14日 (水)

〈父の国の母たち〉(3)

映画を見終えてすぐにワタシが手に取ったのは、以前読んだクローディア・クイーンズ『父の国の母たち 女を軸にナチズムを読む』だった。監訳者である姫岡とし子による「あとがき」にも記されているとおり、本書は女たちの歴史への関わり方を問うものであり、なかでも近代社会が女性に割り当てた領域、つまり「母性的なもの」に焦点をあてる。
ワタシ自身は、ここで「近代社会」と限定することには疑問なしとしないが、少なくとも、「徹底的な男性支配と露骨な女性蔑視を貫いた」ナチズムが、実はその革命を遂行するために、「二流の性」としての女性の参加を不可欠とした、という結論は十分に説得力をもつものと考える。

・・・強制収容所の指揮官や看守は「女の領域=暖かい家庭」という避難所で自分の人間性を回復できたからこそ、狂気に陥ることなく「冷静」に死刑執行の任務を果たせた(「あとがき」)

少ない事例から導き出されたこういった指摘には、たとえば歴史家から、その恣意性が当然のことながら批判されもした。けれど、

・・・愛・慈悲・平和などの砦として持ち上げられがちな「女の領域」が知らず知らずのうちに殺人を補完する役割に転じてしまったという事実は、それだけで「女の領域」の持つ意味合いについて再考を迫らせる重みを持っていると思う(「あとがき」)

という姫岡の指摘は的確だと思う。

日々殺人と向き合う夫、あるいは父のために、結果として、「“行為”ではなく“人物”が尊敬されるような安全な場所を提供」(下巻310頁)し続けた妻、娘たち。彼女たちが、自らが果たしてしまった役割を、問わずにいて良いはずもない。
同時にそれは、同様の役割を担いうるワタシ自身にも、鋭く向けられる問いかけである。

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〈父の国の母たち〉(2)

映画は、ヒトラーの最期を描いた後も30分以上続く。その意味でこの映画は、ヒトラーという、狂人?変人?怪物?のみに焦点を当てたものではない。“ナチス”という組織の崩壊劇を、側近のふるまいを通して描くものでもあった。
とは言えワタシ自身は、登場する多くの男たちよりも、とくに3人の女性に惹かれた。秘書のユンゲ、ヒトラーの愛人であるエヴァ、そして宣伝大臣であったゲッベルスの妻マグダ、彼女たちはそれぞれに、ヒトラーをどういう人間として捉えていたか、その点にこそ興味を抱いた。
ちなみにユンゲは、彼女自身の告白を綴ったドキュメンタリー「Blind Spot, Hitler's Secretary」がベルリン映画祭で上映された当日、自らの役割を終えるがごとくその生涯を閉じた。この偶然?に象徴されるとおり、ヒトラーと日常を共にし、結果、図らずも「歴史の証人」になってしまった一女性の存在なくしては、この映画は作り得ないものでもあった。
ただ、ワタシにとってはユンゲよりも、総統の狂信的崇拝者であるマグダの存在の方が、はるかに衝撃的だった。あの、「Heil! Hitler」(ヒトラー万歳)を導入し、最後までヒトラーへの忠誠を貫いた夫ゲッベルスよりも、ヒトラーを深く愛していたと思わせるこのマグダの、冷徹かつ毅然とした姿には、ただただ圧倒された。
ナチス崩壊後の世界に未来など無い、そのなかで子どもたちを育てることなどできはしない。そうした揺るぎない信念のもと、6人の我が子を薬で眠らせ、ひとりひとりに毒薬を含ませ殺してゆく。夫であるゲッベルスは、自ら手を下すこともなく、すべてが妻の手で成し終えられるまでドアの向こうに佇むだけである。

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〈父の国の母たち〉(1)

「ヒトラー~最期の12日間~」を観た。名古屋での客の入りはあまり期待できないだろうけれど、東京では2ヶ月のロングラン中であるという。ドイツ人俳優とドイツ人監督が全編ドイツ語でヒトラーの映画を制作する、そのこと自体、少なくとも世界レベルでは“事件”だった。
たとえば、ドイツのターゲスシュピーゲル紙は、「殺人鬼の人間性を振り返る必要など、どこにあるのだろうか」と記したそうだ。けれど、凡庸で癇癪持ち、そして誇大妄想癖のある猫背の老人が、かつて「ナチス・ドイツの総統」としてドイツ国民に熱狂的に支持され、いま振り返れば、ドイツ人にとって最も忘れたい暗い過去を現出させた、その事実を問う必要は十分にあろう。
映画の最初に、ヒトラーの秘書であったユンゲの声、そして最後には映像とともにその肉声が流れる。ナチに熱心だったわけでもない彼女が、家族の反対を押し切り、安易な好奇心からヒトラーの秘書に応募し採用される。2年半におよぶ秘書としての生活ののち訪れた最期の12日間が、ときに彼女の目を通して、あるいは、彼女の目には届かなかったベルリンでの惨劇にによって描かれる。
彼女が、暴力的で悲惨な現実に直面するのは、地下要塞を脱出した後であり、ホロコーストについてはさらに後のことであった。その彼女が、「怪物の正体を知らなかった自分をいまも許せない」と自らを恥じ、「若さは無知の言い訳にはにはならない。目を見開いて見ていれば、見えたはずだった」と悔恨を語るところで映画は閉じられる。

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2005年9月11日 (日)

声を聞く♪

ここしばらく車中では、Def Techのアルバム「Def Tech」か、オゾンの「恋のマイアヒ」を流している。
「マイアヒ」はついつい「空耳バージョン」が思い浮かんで、♪飲ま、飲ま、イエ♪ まぁ、景気づけですね。Def Techはできるだけ歌詞に気を付けている。そう、このところのワタシは、「声」を聞くことに意識的なんです。人の声もだけれど、とくに自分の声。誰かに話しかけるときも、内容よりも自分の声がどうなのか、自覚的であろうとしている。
今日久々に出かけた整体で、声に艶が出てきたって言われた。嬉しいな♪ 手帳を見たら先回整体に行ったのが8月21日。思えばその翌日22日から昨日9月10日まで、1日も休みがなかった。1泊2日で東京にも出かけたし、往復5時間強、伊勢の斎宮歴史博物館へは2往復した。「よく乗り切れましたね!」って言われて、自分でも不思議だけれど、その気になればなんとかなるもんだ、とちょっと自信が付いた。
シャキシャキ、ハキハキ、歯切れの良い発話をして、その声を自分の耳でしっかり聞いて再確認する。今日のワタシもなかなかイケテルじゃん。それを繰り返していると、自分のなかからさらにエネルギーが沸いてくる。そもそも姿勢が悪くてはシャキシャキ話せないから、おのずと背筋も伸びるってもの。歩幅もだんだん大きくなってきた。いやぁ、いいねぇ~~イイ感じ!!
う~ん、明日からも、しっかり自分の声を聞きながら、1日1日を楽しく大切に味わって、生きましょう♪

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2005年9月 5日 (月)

下戸の辛党、日々も辛口?

知り合いのブログを見ていたら、更新遅延の理由は論文執筆のためと書かれてあった。わたしの場合はそうではなくて、8月終わりに入会していた研究会の全国大会会場を引き受けたため、準備その他で落ち着かなかったのが主な理由。「入会していた」って、じゃあ今は? ハイ、8月末で退会しました。会場校を引き受けた直後に退会するってぇのはいかがなものか? なんてことは考えないのであります。辞めたくなったので辞めた、ただそれだけです。あぁ、すっきりしたぁ~。
さて、大会期間中、その前後、ちなみに昨日も宴席におりました。けれどもちろん下戸の辛党、飲むのはウーロン茶かジンジャエール。みさなん、気を遣ってくださるけれど、わたしはゼンゼン平気です。できれば美味しい珈琲を頂きたいけれど、まっ、飲み屋でそれは無理ですね。
もう、笑う・泣く・罵詈雑言を吐く、みぃ~んなシラフでやっちゃいますから。朝から本音・本音の毎日です。お酒の力を借りて漸く・・・・・、というみなさんは大変。それだけシバリがキツイのだろうな。でも、そこまでしないと出てこない「本音」というのは、ホントの本音なのか、とチト思ったりもします。まっ、所詮、我慢・忍耐・気配り・努力、日本人の美徳とされるものは、ことごとく嫌いな人間なので、仕方ないです。
ところで、この大会中、20年ぶりにある方に再会しました。いま思い出してもちょっと感動的、というか、示唆的。初心に帰れ、ということなのか。もちろんそれもあるでしょうけれど、口先だけの人生なのか、それとも有言実行の前向き人生なのか、あなたはどちらなの?、と問われたような気もしています。やっぱりオンナは怖いな。それについてはまた改めて書かせて頂くことにしますね。

最後に、今年初め、新たに入会した「日本教育史研究会」の会報に小文を書かせて頂きました。異端児ゆえか、巻頭において下さって、嬉しいです。最近書いた論文の要旨というべき内容ですので、「研究などなど」のコーナーに加えておきます。

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