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2006年9月29日 (金)

はじまった。

後期の授業が始まった。ただし勤務校ではなく非常勤先のN大学の話。私立大学の場合、年明けは入学試験が続くこともあり、半期15回を確保するためには9月の中・下旬から授業開始となる。

去年までは3~4年生向けの専門の授業だったので、中世から近代に至る女性教育について話していた。けれど今年の担当は文章表現法。対象も1年生から4年生以上と幅があるし、学部も人文・外国語・経済・法学といろいろ。

そもそも文章表現法って何をすればよいの? う~ん、作文指導もありだろうけれど、でもね、+α、表現することで楽しみたいよね。お互いに。

ということで、

『日本語上手。ひと味ちがう表現へ』(←へへへ、しっかり宣伝)

    http://chizuru.cafe.coocan.jp/contents2.html

をテキストに授業スタート。初回の実作は、出席確認も兼ねての回文作成。与えた時間は30分程だったけれど、得意な人はいくつも作ってくれました。

そこでいくつかご紹介。

 *にわとりよ、さあ鳴きな。朝より永遠に。

 *子鬼、しばらく桜橋に置こ。

 *宇津井健氏は神経痛。

 *鮭、食べた今朝。

 *こねを迂闊に使う雄ネコ。

 *かつらが落下。

 *田島、イヌ縫いました。

やっぱり柔らかアタマは楽しいですね。

ちなみに次回は作詞です。とくにリズムが大切よ♪ ということで、講義に続いての実作はラップ。持参するのは、①国語辞書、②電子辞書、③携帯電話、のいずれか、と告知しました。

授業中、にもかかわらず携帯電話の電源オン。なぜって、ラップを作る上で欠かせないのは韻を踏むこと、つまりはライミングだからです。まずは同音異義語をあれこれ思い浮かべ、組み合わせの妙を楽しむことから始めるのです。

イケテル作品が出来上がったら、いずれ授業中に実演もと考えているのですが。はてさてどうなりますことやら。

そうです。お察しの通り! イチバン楽しんでいるのは実はワタクシ、なのであります。むふふふふ。

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2006年9月23日 (土)

ふわふわふわっと秋分♪

今日は秋分の日。

昼夜の時間がほぼ同じです。ということは、1年365日のなかでもバランスのとれた日ということになりますね。

でもたとえば、人のありかたに置き換えたらどうでしょう。バランスのとれた人って、シアワセなのかな? バランス感覚を兼ね備えたら、笑顔でいられるのかな?

もちろんシアワセ感なんて、あくまでも主観的なものだから、本人がそう思えばそれでヨシ、ってだけの話。わたしがとやかく言う必要などありません。

ただ、疲れるだろうなぁ、とは思います。バランスなんぞに気を遣うくらいなら、ふわふわ漂うほうが楽しいのにって、ずっと前に優等生を辞めた移り気で持久力に欠ける私は思います。

大切なのは、やりたいことを忘れないこと。それを、おしゃべりのなかの「夢」で終わらせないこと。忘れずに、少しず~つ少しず~つ、カタチにしてゆくこと。そしてカタチにしたら、さっさと忘れて、「次!」にゆくこと。

最近コンタクトレンズを新調しました。以前にもまして、よりいっそう周囲がよく見えるようになりました。老眼の発症は全く話題にならず、近眼の進行を指摘されて、「これってまだまだ成長している証拠だわ♪」と勝手に決め込んでます。

なんせ、至極当然のことながら、昨日より今日の方が、アタマもキッカリゼッタイ賢くなっているのですから。そう、

「日々是成長!」「思い立ったが吉日!」「笑う門には福来たる!」

これで新たなトシも、自分で自分をふわふわふわっとシアワセにするのです。

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2006年9月16日 (土)

社長のブログ。

ここ数日、ミクシィが話題になっています。私も1年ほど前に入ったものの、マイミクのブログと「足あと」なんぞをチェックする程度。何とな~くモゾモゾうぅぅっとアウトプットしたくなったときは、ココログに書くことにしています。自分も含め、読んで面白いブログを書き続けるというのはなかなかムズカシイですね。

そんななか、ネットサーフィンをしていてしばらく前に見つけた「アイロベックス社長の日記」。

表紙の社長のお顔に惹かれて、早速「お気に入り」に追加しました。社員とその家族の生活を背に、日々先頭に立って走る社長の孤独とプレッシャーがどれほどのものなのか、私にはよく分かりません。けれど、「ボスであること」なんて文章を読むと、「生き甲斐」という言葉が思わず頭に浮かんで、「明日もガンバロー!」という気分になります。

ネット上とはいえ、こういう「出会い」というのは、嬉しいものですね♪

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2006年9月 9日 (土)

読了。

堀栄三『大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇―』(文春文庫)を読んだ。

中世とはいえ軍記物語、つまりは「戦(いくさ)」を描く文学作品を研究対象にしてきたけれど、戦術や戦闘場面にはほとんど興味を感じないというのが正直なところだった。たしかに軍記物語は「戦」を描くから「軍記」物語というジャンルに入れられるわけだが、歴史の推移を描く歴史叙述であることに変わりはない。私にとってはそのことだけで十分だった。

ただ、対象とする時代は異なるものの、この本は「戦」というもののありかたを理解する上でとても参考になった。たとえば「戦略」と「戦術・戦闘」の違い。戦略の失敗は戦術や戦闘によって覆すことはできない、そしてそれは軍事のみならず政治にも教育にも企業活動にも通じる。書いてしまえば至極当たり前のことかもしれないけれど、実際の大戦での具体的な経験をもとに説かれると、なるほどなと納得させられる。

なかでも、堀が航空戦の「戦果」に疑問を抱く場面には興味を覚えた。そこには、戦果は誰がどうやって確認するのか、という素朴な問いかけから、「大本営発表」のカラクリが明らかとなる過程が描かれている。

昭和19年10月、鹿屋の海軍飛行場に着いた堀は、次々ともたらされる「○○撃沈」という戦果に湧くピストで、ひとり航空戦の怪しさを直感する。

― 一体、誰がどこで、どのようにして戦果を確認しているのだろうか? 堀は、ピストで報告を終って出てきた海軍パイロットたちを、片っ端から呼び止めて聞いた。

「どうして撃沈だとわかったか?」

「どうしてアリゾナとわかったか?」

「アリゾナはどんな艦型をしているか?」

「暗い夜の海の上だ、どうして自分の爆弾でやったと確信して言えるのか?」

「雲量は?」

「友軍機や僚機はどうした?」

矢継ぎ早に出す堀の質問に、パイロットたちの答えはだんだん怪しくなってくる。(P161~162)

想像してみれば分かることだけれど、月や星が見える程度の夜戦で、どうして戦闘状況を逐一正確に報告することができよう。「○○撃沈」という華やかな戦果報告をまずは疑って懸かる冷静さが必要だった。

同時に、こうした戦果の報告とそれを書き留める記録の問題は、「戦(いくさ)」を描く軍記物語を考える上で、ひとつの示唆を与えてもくれた。

もう30年近くも前の高校時代、英語担当で担任でもあったO先生の若き日について、同僚の先生が、「あの方は陸軍中野学校出身なんだよ」と口にしたことがあった。年齢から推すとちょっと合わないようにも思うけれど、でも、そうかもしれないな、と感じたことを覚えている。穏やかで声を荒げたことなどない、そして指示は的確かつ冷静。機会があれば真偽を伺いたいと思う一方で、何となく憚られるものもあり、結局そのままになってしまったことを、ふと思い出した。  

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