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2006年11月19日 (日)

「大きな物語」が孕む危険。

香山リカ 『多重化するリアル 心と社会の解離論』('06,11、ちくま文庫、620円)を読んだ。

2002年に刊行された本書を文庫化するにあたって新たに加筆された第7章「「自分」が分割される ― ポストモダン心性について」に以下の下りがある。

それにしても、人はなぜ、そこまでして「唯一無二のリアリティ」を求めようとするのであろうか。帰依すべき「大きな物語」が喪失し、自らの存在の根拠が確実なものとして保障されなかったとしても、そのまま「小さな差異の戯れ」の中で生きていくことが、なぜ人にはできないのだろうか。(P.209)

もちろん、「大きな物語」のすべてが失われたわけではないこと、今も世界には「宗教」と「民族」という「物語」が実際に機能していることを、たとえばオサマ・ビン・ラディンの発言を例に香山は指摘する。

だが、最近の日本では、拠りどころとすべき「大きな物語」は失われ、その喪失に伴う新たな物語の創造が、政治・社会・文化の動向と密接に結びついていると言う。

万世一系・美しい国・憲法改正・・・・・    

あるいはまた、スピリチュアルブーム。

彼らの多くは、この「大きな物語」に触れたことを「奇跡」と考え、そのヒリヒリするようなリアリティに感動の涙を流し、それを与えてくれた超越者や本の書き手に無尽蔵の「感謝」を抱く。「生まれただけですばらしい」というその感覚は、人生を根底から支えるものであると同時に、社会や政治に対する怒りや不満までをもすべて、「これも与えられた運命なのだ」「神が私に与えた試練なのかもしれない」と「感謝」に変えてしまう危険性も持っている。(P.214)

そう、問題は、ある時点で「考えること」を放棄してしまうこと。すべてをあるがままに受け容れ、その先へと進むことなく、「思考停止」に陥ってしまうことなのだろう。

香山自身、「求めるべきは安易な「物語の再生」ではなくて、「物語なき後の心のサバイバル術」だと思っている」(P.216)としつつも、だがそのサバイバル術もまた、彼女なりの「物語の再構築なのかもしれない」と記す。

いまこのブログを書きながら、ついつい私も、生きて今ここにあること、その感覚の希薄さを思ってしまう。果たして唯一無二のリアイリティなどというものがあり得るのか。そうした根源的な問いへの抵抗として、日々「私だけの」と確認を繰り返す「物語」を紡いでいるような気がする。

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2006年11月15日 (水)

「幕末・明治の浮世絵」

徳川美術館で開催中の企画展示「みる・まなぶ・たのしむ 幕末・明治の浮世絵」に行ってきました。(~12月10日まで開催)

19世紀初頭から20世紀初頭までの浮世絵123点が展示されています。いつものことながら、閉館40分前の慌ただしい駆け込み入館。源平合戦図屏風(岡谷家寄贈)と黄天目茶碗は見落とさず、あとは美術館に不似合いな歩幅で常設展を通り抜け、目指すはお殿様が見て遊んだ浮世絵です。

【今回の企画展では図録は作られていなかったので、以下は私の記憶+同館で買い求めた内藤正人著『大名たちが愛でた逸品・絶品 浮世絵再発見』(2005年、小学館)を参考にしたメモ書きです。そうそう、本といえばもう一冊、くもん子ども研究所編『浮世絵に見る江戸の子どもたち』(2000年、小学館)もついつい買ってしまいました。美術館・博物館に行くと、帰りのお財布はいつもスカスカ。】

さてさて、やはり印象的だったのは、第十三代尾張藩主、徳川慶臧(よしつぐ)の遺愛品。慶臧クンは弘化二年(1845)に田安家から尾張家養子となり、同年当主となったのですが、嘉永二年(1849)運悪く疱瘡にかかり、わずか十四歳で亡くなってしまいました。

まぁそれだけならば、不運な幼君のお話として終わってしまうのですが、昭和に入って名古屋市の市街化計画により、建中寺にあった彼の墓所も移転させることとなり、発掘調査が行われるに及んで、驚きの副葬品が発見されました。

墓所の土の中、地下およそ180センチの深さに作られた石室は、その内部が九重もの層になっていて、最後の小さな室内に、遺骸とともにナント!幕末期の版画や版本が大量に保存されていたのです。そう、土中から〈紙の遺品〉が見つかったのです。

画題の特徴としては、歌川国芳らによる和漢の武者絵の多いことが挙げられます。十四歳の男の子であった慶臧クンの嗜好を反映したものといえるでしょうか。今回の展示でも、清盛入道布引滝遊覧、坂田怪童丸、牛若丸熊坂長範を討つ図、頼朝卿富士野御狩、源頼政怪鳥鵺を射る図、佐々木高綱宇治川先陣図などを見ることができました。他にも副葬品には、曽我物語図絵、曽我仇討双六、北斎の『北斎漫画』や広重の東海道・木曾街道ものなども含まれていたようです

生前、慶臧クンが身近に置いて慣れ親しんだからこそ、遺骸の傍らにこれら浮世絵が納められたのだと考えると、尾張藩主とはいえ、慶臧クンという存在が何だか身近に、そしてとっても愛おしく感じられます。

今回の企画展は、幕末・明治とあるとおり、日清・日露戦争を描いた浮世絵までを展示し、浮世絵の終焉に至るという構成になっています。私としては、これまで直には見たことのなかった月岡芳年「月百姿」の数点を間近にできたことも、収穫でした。

それにしても、やっぱり尾張徳川家のお殿さまは、しっかり豊かだったんだなぁ。

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2006年11月12日 (日)

「30年のシスターフッド」

映画を見た。

「30年代のシスターフッド ~70年代ウーマンリブの女たち」(監督:山上千恵子・瀬山紀子)

シスターフッドとは、ウーマン・リブの運動の中で、女性解放という目標に従った女性同士の連帯をいう。

70年代、日本で女性解放運動が盛んだった頃、リブ合宿という試みが行われた。合宿に参加する際の約束事は三つ。ひとりで来ること。鈍行列車で来ること。最寄り駅から合宿所までは徒歩で来ること。

女性のひとり旅が珍しかった時代。告知記事は小さいものだったのに、主催者の予想をはるかに超える女性たちが全国からやって来た。当時の映像には、昼夜を徹して語り合う女性たち、そこには幼い子連れの姿もある。上手く言葉にできないけれど、ずっとずっと胸の奥に溜め込んできた思いを声にしたいとひたすら語る、そしてその声に共感し合う女性たち。その熱気は映像からじわじわと伝わってくる。

このドキュメンタリーは、かつてリブ合宿に参加した女性たちが、03年に行われた「リブ同窓会」ともいうべき「リブ温泉合宿」で再会する様子を記録したものである。監督の山上さんはリブ世代、瀬山さんは70年代生まれ、母娘二世代ともいうべき女性ふたりによって撮影された。そして60年代生まれの私にとっても、リブは遠い。だから知りたいと思った。

映画観賞後、監督の山上さんと、映画に出演されていた京都精華大学教員の三木草子さんを交えてのトークセッションがあった。参加者は20名ほどということもあり、円座になって全員にマイクが向けられた。映画そのものの感想を口にする者はほとんどいなかった。面白くなかった訳ではない。登場する女性たちは、実にステキな笑顔でかつてを語り、しかもその笑顔は、リブが生涯現役であることを教えてくれていた。ただ昨日の参加者にとっては、今日なぜ自分がここにやって来たか、そこに至る自分史の一端こそが大切だった。だから、映画の感想を述べるだけでは済まなかったということ。

30代から70代までの、知らない同士の女性たちが、2時間ひとつの場所に集い、語り、そして去っていった。これもまた、06年版リブ合宿のようなもの、だったのかもしれない。

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2006年11月 5日 (日)

ちょっとオドロキ。

今日は近郊の中学8校の吹奏楽部による吹奏楽フェスティバルがあった。

自宅から会場、会場から中学校へと、子どもたちの送迎をくりかえした。その際、いつもと違う車内の雰囲気に、思わず「あれっ?!」。 程なくしてその理由に気付いたら、ちょっと可笑しくなってきた。

なぜ?って。・・・・・ナント娘が聞き慣れない「敬語」を使ってる・・・・・

そう、いつも彼女の友だちを乗せるときは同級生ばかり。敬語の入り込む隙などないかまびすしい車内。ところが今日は、上級生が同乗した。娘とその同級生、そして〈センパイ〉。 話題の提供の仕方、話しぶり、下級生ふたりがしっかり〈センパイ〉に気を遣っているではないか!

「アナタ、そういう話し方もできるのね」、とチャチャを入れたくなる気持ちを抑えつつ、ハンドルを握る休日の午後。 いつもと違う子どもの横顔を垣間見、そこに成長の跡を認めながら、ふと、このところのいじめ問題を思った。

〈一生懸命みんなで頑張ることの尊さと危うさと〉。

そこに必要なのはきっと、このハンドルと同じ、ちょっとした「遊び」なんだろうな。

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2006年11月 3日 (金)

徳川美術館に行ってきました。

連休前に徳川美術館に行ってきました。http://www.tokugawa-art-museum.jp/

お目当ては、秋季特別展「絵で楽しむ日本むかし話 お伽草子と絵本の世界」

Img_0757_2公家物・僧侶(宗教)物・武家物・庶民物・異国物・異類物など展示総数59点の充実した内容。なかでも「姫君の愛でた絵物語」コーナーにあった名古屋徳川美術館、蓬左文庫蔵の7点は、尾張徳川家に嫁いだ女性たちの所持品ということもあり、印象的でした。

【つれづれ草・大黒舞・くさ物語・文正草子・大江山絵巻・しぐれ・ふしみときわ】

 『つれづれ草』は尾張徳川家三代綱誠(つななり 1652~1699)の夫人であった新君(にいぎみ)の蔵書で尾張家に伝来したとあり、ちょっと懐かしい気持ちになりました。

実は、蓬左文庫には『御書籍目録』〔寛保3年(1743)改〕という尾張藩御文庫の蔵書目録が残されていて、歴代藩主とその夫人たちの蔵書の一端を知ることができます。

新君については和歌集や物語を中心に42点、なかには『吾妻鏡』『太平記』『源平盛衰記』といった書名も見えます。その大半は同じ意匠の蒔絵の容器に収められていたとの注記から、婚礼の折に持参した本であったと推測されます。

 〈武家の女性にとって『源平盛衰記』は婚礼調度本だった〉

このことが、それまで軍記物語を研究対象としていた私が、女訓書に目を向ける切っ掛けとなりました。

思えば大学院に進んで間もない頃、緊張の面持ちで出かけた研究会で、「『平家物語』を勉強しています」と自己紹介した私に、ある軍記研究者が、「女性が軍記研究をねぇ・・・・・」と、ひとこと感慨深そうに口にされました。

あのことばの真意は何だったのでしょう。軍記研究の盛んであることを評したものだったのでしょうか。それとも・・・・・・。

ただ、新君の蔵書に『源平盛衰記』の書名を見出したとき、それまでわたしのなかで、何かしら、どこかしら、お仕着せに感じられた軍記研究という名の「お勉強」が、別な何かに確実にかわりました。

 〈他の誰でもない、私が感じ、私が考え、そして私が私のことばで表現する〉

社会人からUターンをし大学院に入って10年。漸く「研究」の入り口に立てた、そう感じた瞬間でした。

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2006年11月 2日 (木)

さぁ、11月♪

全注釈の仕事を始めた。本当は夏休みから取りかかるはずだったので、漸くの発進ではある。

でもむしろ、11月を迎えて、〈今がその時!〉という気持ちの方が強い。

対象書は『女訓抄』。研究者の中でも読了したという人は多くはないだろうし、文学研究の場で扱われること自体、稀な作品。でもそれは、「食わず嫌い」ならぬ「読まぬ無関心」のせいだと思う。

ホントかな~?って思ったアナタ! ちょっと高いけど、読みやすい本文はすでに提供済みなので、ぜひご一読あれ。http://www.miyaishoten.co.jp/main/003/3-3/densho17.htm

ジャンルはと言えば、女性向けに、日常を過ごす上で必要な知識や教養、さらに心構えを説いた「女訓書」に含まれるわけだけれど、そもそもこの「ジョクン」という用語も耳慣れないだろうなぁ。じゃぁなぜ、その「ジョクン」なるものを考えるようになったか。それについては以前にちょっと書いたことがある。

「なぜ、女訓書を研究するのか」 http://homepage3.nifty.com/chizuru/sakusaku/3_1.htm

そののち多少わたしのなかでも、作品に向き合う姿勢に変化は生じたけれど、いずれにしても、いまだ手付かずの面白い世界であることに違いない。

今回は本文だけでなく、注釈さらに補注を加えて、いっそう読みやすくした全注釈本となります。作業期間は2年を予定!

良くも悪くも「力業(ちからわざ)」で切り開く論文の世界とは、またひと味ちがった面白さが注釈作業にはあります。日々ささやかであっても発見があり、知る喜びがあり、カタチにして行く充実感がある。

40代半ばの〈いま〉だからこそ。

まさに機は熟した、と、この出会いにシアワセを感じつつの日々が始まりました。

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