« 2006年11月 | トップページ | 2007年1月 »

2006年12月29日 (金)

今年も♪

昨日の深夜、ほぼ恒例となった「クリスマスの約束 2006」が放映されていました。

斎藤哲夫さんの「♪今の君はピカピカニに光って♪」では、思わず海辺の木陰で着替える宮崎美子チャンが目に浮かんで、あぁ、懐かしや。美子チャンはいつしか淑子サンとなり、今は「のだめ」のお母さんだもんな。昭和は遠くなりにけり。

それにしても、この番組の観客には、厳正な写真審査でも課せられているのでしょうか。ほぼ9割が、20~30代の、若くて綺麗な女性たち。夏の吉田拓郎や南こうせつに集う層とは明らかに違う。まぁ、当然と言えば当然だけど。日焼けが気になる野外コンサートに、そもそも彼女たちは出かけないからな。

6回目の今年は、松たか子チャンなどゲストも多かったです。番組後半、スキマスイッチとの共演では、一緒に曲作りをしている映像が流れました。そこでの歌詞をめぐるやりとり。

小田: 「そこは、『どうか』は女々しいから、『uh(う~)』が良いんじゃない?」 (←出た!天下御免の小田サマuh(う~)だぜっ  byセンツル)

スキマスイッチ: 「女々しいって、小田さんずっと女々しいのを歌ってきたじゃないですか。僕たちそれを聞いて育ってきたんですから・・・・・」

ナイスつっこみ! とはいえ、還暦を前に「全力少年」を歌ってしまう小田和正もサスガと言えばサスガです。

なぁ~んて、ブログを書いている場合じゃない。29日だというのに今日も大学にやって来て、ひたすら校正をしております。わたくし、「気力だけ中年」です。

| | コメント (0)

2006年12月26日 (火)

「中吉」でした。

熱田神宮に行ってきました。

休日ということもあり、お宮参りの家族連れを何組も見かけました。生きるエネルギーいっぱいの赤ちゃんを、ひと目なりと拝みたくて、それとな~く近寄っては見るものの、なかなかお顔までは拝見できず。みなさん大事に大事にくるんでらっしゃいます。ちょっとザンネンではありましたが、久々に心和みました。

参拝を終え、お守りを購入し、ついでにひいたおみくじは、「中吉」。

〈開運の時が来る。但し、急ぐべからず。慎んで静かに事をなせば次第に意の如くなる。千里の道も一歩から。〉

おみくじというのは、「大吉」「中吉」「小吉」の別や、項目ごとのひとことに一喜一憂するのではなく、大切なのは前文だと聞いてことがあります。そう考えれば、2007年は期待がもてますね。ただ、「千里の道」というのはちょっと気になるところ。はてさて今は、何歩くらいでしょうか。

帰り際、何年かぶりに「宮きしめん」を食べました。初冬の澄んだ空気の中、屋外テントの下で食べていると、迎える新年は心躍る日々になるのだわ♪なんて、思わず笑みがこぼれました。

さっそくの御利益、ということですね。

| | コメント (0)

2006年12月17日 (日)

解毒剤。

遅まきながら今年はじめて『グロテスク』と『OUT』を読む。内なる毒を消し去りたいとき、桐野夏生は効く。

今週末、『魂萌え!』と『顔に降りかかる雨』を読む。『魂萌え!』は12月に文庫化されたばかり。桐野作品のなかでは、いわゆる「白い作品」(『グロテスク』や『OUT』は「黒い作品」)ということもあってか、残念ながら解毒は不完全なまま。

ただ、作品とは別に、文庫にお決まりの「解説」冒頭で、一瞬「えっ」と思ってしまった。

小説を読みながら、こんなにぼろぼろ泣いたのは何年ぶりだろう。何回読んでもそのたびに泣く。 ・・・・・・(中略)・・・・・・ 『魂萌え!』は見たことのない小説だった。虚を衝かれた私の反応が、泣くという形で現れた。 (『魂萌え!』「解説」星野智幸)

どうして泣くの? なぜ、泣けるの?

社会を生きる上で女が感じる違和感や怒りを、桐野作品が真正面から捉え鮮やかに描き出していることは言うまでもない。だからこそ彼女の作品に魅力を感じるているのは私も同じこと。でも、私は泣けない。

いつのまにか感性が摩滅したのだろうか? 作品が読めていないのだろうか?

いやおそらくそうではない。『魂萌え!』の敏子も『顔に降りかかる雨』のミロも、あまりにも私にとって身近な女だから。だから泣けない。

ずっと見てきた、いまも見ている、そしてこれからも見るだろう女たちの姿。いまさら虚など衝かれるものか。泣いて、泣いたところで、いったい何がどうなると言うの?

あぁ、新しい週が始まってしまう。     もっと「毒」を!

| | コメント (2)

2006年12月 3日 (日)

「健全な現実逃避」?!

杉浦由美子『腐女子化する世界 ―東池袋のオタク女子たち― 』(中公新書ラクレ)を読んだ。現代用語とはいえ、どうも「腐」の字面は頂けない、と思う私はやっぱり40代?

ご存じない方のために・・・・・「腐女子」とは、女性のオタク、男性同士の恋愛物語(「やおい」や「ボーイズラブ(BL)」を嗜好する女性たちをいうことば。秋葉原が男性のオタクのメッカだとすれば、女性のオタクである「腐女子」のそれは東池袋。秋葉原に行ったことも、東池袋を歩いたこともない、大いなる田舎の住人としては、いまひとつイメージしにくいけれど、東池袋には「乙女ロード」なるものがあるそうだ。

さて、詳しくはご自身でお読みいただくとして、私が思わず苦笑いしたのは、70年生まれの杉浦さんが、50年代後半から60年代生まれのお姉様方の発言に対して、それはちょっと違う(って言うか、分かってないなぁ~)とチクチク指摘しているところ。

たとえば、斎藤美奈子『男性誌探訪』のなかの、女性はオタクになりにくいとする一節を取り上げて、反論を試みている。

この「一○代になって色気づくと、女の子はラクで楽しいおしゃれや恋愛に流れちゃうしね」という一文が、一般社会の女性への固定概念を表しているだろう。つまり、女性はファッションと恋愛のことにしか興味がない、というものだ。もちろん、女性の多くはファッションや恋愛に関心がある。しかし、彼女たちが興味があるのはそれだけではないのだ。(P.22)

趣味のジャンルは男性以上に豊富であり、同好の友人を作ることにも女性は長けている。つまり、女性はオタクになりにくいというのは誤解であるとして、以下、その思考と生態を論じて行く。

あるいは、酒井順子『負け犬の遠吠え』や中村うさぎ『私という病』が、男性にも多く読まれたことについて、「なぜ男性に受け入れられたのか? その理由は、酒井や中村が描く女性像が男性や年上の世代に理解されやすいものだったからではないだろうか」(P.127)と推測する。

つまり杉浦さんは、お姉様世代のなかにいまも残る「権威としての男性社会」の存在、その内面化を指摘しているのである。60年代生まれの私としては、あぁそうかもねぇ~と思わず苦笑い。

杉浦さんによれば、「腐女子」たちは、男性社会に価値を見ない、だから否定されても何も感じない、と。ここで、「世代間の間格差を浮き彫りに」するものとして、「下流社会」をめぐる神戸女学院大学教授:内田樹と学生とのエピソードが紹介されている。それは、そもそも人は「社会的承認」を必要とするものだという旧?世代の固定観念に対する批判ともなっている。

腐女子が必要とするのは、同好の士からの承認である。だからといって、彼女たちが自らの女性性を否定しているわけではない。むしろ、「恋愛や自己実現といったものは現実でするべきであって、それを別の場所に求めても仕方ない」(P.119)と考えている。杉浦さん曰く、「関心が妄想(物語)の男性にいっているので、現実の男性への欲求が低い」と。

ならば腐女子という生き方が、なぜいま必要とされるのか。

「自分探し」ブームが起きた1990年代も今も生きづらいと感じる人たちが多いことは変わらない。しかし、対処の仕方がスキルアップしているのではないか。それが「腐女子化」である。(P.200)

現実で地に足をつけ、平凡な日常をキチンと営んでいくために、現実とは違う「物語」を必要とする。そういう健全な現実逃避をすることができるのが「腐女子」のスキルなのである。(P.200)

「物語」を欲する内的動機にさしたる違いはないように思うのだけれど・・・・・・。「現実の男性」はさておき、「現実の自分」への欲求は、手放したくないと思う40代の私であります。

| | コメント (0)

« 2006年11月 | トップページ | 2007年1月 »