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2007年1月17日 (水)

「ろう文化」

講師に澁谷智子さんを迎えての「ろう文化研究の現在」というセミナーに参加した。

学内に掲示されていたポスターを何度か目にし、そこに描かれていた手話のデザインに惹かれて、澁谷さんのお名前もご研究も知らないままに飛び入り参加。

現在、澁谷智子さんは日本学術振興会特別研究員で、非常勤講師としていくつかの大学で授業を担当されています。本学教員による講師紹介によれば、2000年12月に東京大学大学院総合文化研究科に提出された澁谷さんの修士論文「「ろう文化」と「聴文化」の間―コーダの文化論的考察―」は、知る人ぞ知る画期的な内容で、研究者によってしばしば引用されるものだそうです。

そこで遅ればせながら、さきほどGoogleでお名前を検索してみました。すぐにホームページを発見。そこには、「「研究」し「母」する生活」との一節ともありました。

http://shibuto.hp.infoseek.co.jp/index.html

思わず私も、30代の頃の自分を懐かしく思い出します。

さて、「ろう文化」というのは、ちょっと聞き慣れない言葉です。そもそもは、公民権運動の広がりと、手話も独立した言語であるという言語学における手話研究の発展に伴って、アメリカで生まれた思想とのこと。日本では1995年に木村晴美・市田泰弘両氏による「ろう文化宣言― 言語的少数者としてのろう者 ―」という論文が『現代思想』に発表され、それを機に広く知られるようになったようです。

澁谷さんのお話でとりわけ印象的だったのは、「CODA(コーダ)」の存在と、彼らの言語感覚でした。

CODAとは、「Children Of Deaf Adults」の略号で、聞こえない親を持つ聞こえる人々のことを表す用語。聞こえない者同士の間に子どもが生まれた場合、ほぼ90%の確率で聞こえる子どもが誕生すると言います。したがって、彼らは幼いときから多様なコミュニーケーション手段を用いて親と意思疎通を図ることになるわけです。

たとえば、子ども自身は聞こえて話すことができたとしても、生育過程で身に付いた手話の方が得意という場合も当然ありえます。そうしたCODAと称される方々に、澁谷さんが聞き取り調査をされた際、ひとりの女性が「可笑しいでしょ」と言って披露してくれたエピソード。

聞こえない親を持つ彼女は、結婚して間もない頃、夜眠っているときに手を動かすことがあると夫に指摘されたそうです。不審に思ってしばらく観察していた夫によれば、それはどうやら手話による寝言らしいと。

手話で寝言?!

言語のひとつとして手話に慣れ親しんできた彼女にとっては、寝言もまた手話で表現するのがごくごく自然なことだったわけです。

セミナーで、澁谷さんが紹介して下さった丸地伸代さんの論文は、CODAと呼ばれる方々の言語感覚を考える上でとても興味深いものでした。以下に転載させていただきます。

日本語と手話とは全く違う言語です。その二つの言語を私はその場その場で本能的に選択していました。日本語を話す場合は、話さなければならない内容を、いったん手話でまとめた上で、それを日本語に翻訳していたのでしょう。この作業を無意識のうちに行っていたのです。聴者との会話の中では、しばしば返事をする時にタイムラグが出ました。また、想いや考えなどを話すときには、相手によっては黙り込んでしまよううに見ていたようです。

・・・・・(中略)・・・・・

手話は目で見る言語です。目の前に一枚の映像があり、その隅々まで捕らえられたものを丸ごと情報とするのが手話で、一方映像の中心にある木や人物のようなものだけを情報とするのが音声語のようです。ですから、手話を音声言語に翻訳するときはいつも「ものたりなさ」を感じます。どうしても自分の見える情報の全てを伝えようとするために、日本語が追いつかなくなるのです。ことばの数を、聴者が話す日本語にふさわしい情報量に落とすために取捨選択する術を、私は持ち合わせていないのです。

  (丸地伸代「ろう者と聴者の間で―CODAという名のマイノリティ」『月刊 言語』2000,7)

目で見る言語としての手話。

声の不在をとおして改めて「言語」について考える貴重な時間でした。

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