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2008年3月31日 (月)

雨、のち、晴れ。

年度最終日です。

最近は、お正月よりも、年度の変わり目の方が、新たな始まりを感じさせてくれる気がします。

2007年度もいろいろありました。とは言っても、ほとんど忘れています。最近は、1ヶ月が半年くらいに感じられ、1年前ともなると、もう記憶の彼方です。

思い出したいことだけ思い出し、いやそれも、実際のところ、ほとんどありません。かつて居た場所は、もう過去のこと。そうした時の経過と、わたしの〈いま〉を、改めて実感させてくれる出来事も、面白いように起きてきます。

さて、2008年度はどんな1年になるでしょう。雨の後に訪れた穏やかな日差しは、新たな発見をもたらしてくれて、なかなかに楽しいものです。

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2008年3月19日 (水)

今日は何の日?

今日は、♪HEART STATION♪ (by UTADA HIKARU)の発売日。

ちょっと遅くなりましたが、さきほど予約していたお店で購入してきました。

アルバムを心待ちにしていたのは私。ポスターを待っていたのは娘。アマゾンはポスターを付けてくれないので、久々にCD販売店に行きました。

明日は良い休日になりそうです。

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2008年3月15日 (土)

今日は朝から・・・・・。

今日は、朝ご飯の準備をしている間中、くしゃみと仲良し。

しっかり飛んでいるのでしょうね、カフン・カフン。くしゅくしゅ。

そのくしゃみの合間を縫って、♪ほーほけきょっ♪ という可愛い声が、何度も何度も聞こえてきます。思わず、ご近所さん、環境CDなんぞを流しているの? なんて疑いたくなるほど。

ご飯を食べ終え、ちょいと散歩に出かけたら、あちらでもこちらでも。さすがにCDではありません。鳴き方もいろいろですね。それぞれが自慢げで、張り合っているのかな。

声につられて歩いて行くと、ごくごく近くにウグイスが。

この時節、鳴き声を耳にするのは珍しくないですが、姿は見えずがほとんどで。けれど今朝は何年かぶりに、可愛い姿も目にすることができ、ちょっと得した気分です。

いやぁ~春ですねぇ。confident

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2008年3月 9日 (日)

チョコット改訂。

出版社さんから日本語表現テキストの改訂に関する電話がありました。

増刷するにあたって、奥付の所属が執筆当初とは異なる人もいるので、その訂正についてです。

それにあわせて、テキストを使ってくださっている高校の先生からのご指摘ひとつ。

うちの生徒たちが、例文に出てくる「小泉首相」「竹中金融担当大臣」を見て、「もう違うじゃん。古いぃ~~」って言ってます。

たしかにおっしゃる通り。大学生ならばそのあたり、軽く流すのかもしれませんが、そこは高校生。「古い、は、古い!!」です。

聞けば、もう何年もこのテキストを使ってくださっているとのこと。ありがたいことです。そりゃもうこのくらい、さっさと改訂いたします。

じゃぁ、「フクダ」さんにしたのかって? そんなわけないじゃん。

ところで、通常大学生が使っているこのテキストを、高校生も使っているの? と思った方に、付け加えさせていただきますと、実は中学校での採用例もあるのです。

もちろん、ゼンゼン問題ないです。なぜって、日常生活の中で、誰もが必要とする「日本語で書く能力」を身につけ、伸ばすことを目的としているテキストですもん。しかも書き込み式で、別冊として小テストも付いているし。

むしろ現状の中学・高校の国語教育では、「日本語で書く」という訓練をしていない、ほとんど時間を割いていない、ってだけのことだと思います。

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2008年3月 6日 (木)

未来へ。 辻真先『ぼくたちのアニメ史』

辻真先さんの『ぼくたちのアニメ史』(2008.2、岩波ジュニア新書)を読んだ。

夕食後、アマゾンから届いたばかりの本書を手に取り、読むのは明日にしようと思っていたのに。

明日になんて、できなかった。冒頭の、「はじめにお断りします」から、辻さんの軽妙な語りに引き込まれ、結局読了してしまった。

昭和40年代に子ども時代を過ごした私にとっては、目にしたアニメのすべて(と言ってよいだろう)に辻さんが関わっていらっしゃったことを再確認した心躍る懐かしいひととき。

同時に、次のような一節には、なるほどなぁと感じるところ大でもあった。

放映開始されて間もないNHKテレビで番組制作に当たったぼくは、いささかの恨みをこめて書いておくが、あの時代の新聞雑誌のテレビに対する風当たりはひどかった。「一億総白痴化」といわれ「電気紙芝居」と笑われた。確かに映画や演劇など先行したメディアに比べれば、悲惨な出来ばえであったろうが、誰かひとりくらい将来のテレビ文化の広がりを予想したっていいじゃないか。マンガもアニメも、ゲームもライトノベルも、巨視的にはおなじ道を辿っている・・・・・・・。

第三者の視点で未来をイメージしながら、向かうべき針路を示唆するのが、ジャーナリズムの責務とぼくは思う。海外で大歓迎と知ったとたん、味方に馳せ参ずるのでは、社会の木鐸が情けなさすぎると、今ごろ八つ当たりしても間に合わないが。(本書P.120~P.121)

その一方で、数え年で喜寿(←77歳ねっ)を迎えられる辻さんが、『エヴァンゲリオン』を評して、「みごとに練られた脚本演出であった」としつつ、

ぼくは爺さんでも、レイに萌えた。現在使用中のマウスパッドは綾波レイだ、文句あるか。(P.122)

と続けるあたりに、思わずニヤリとしてしまう。(余談だけど、辻さんは親指シフト愛用者)

と、ここまで読後感を書いて。

ここで終えれば良いのだろうけれど、実のところ私は、何だか胸が熱くなって、感傷的な気分になってしまった。(でもって、いつになく夜更かしをして、このブログを書いている)その理由のひとつ、私的な、あまりにも私的なことを、深夜の興奮に乗じて、書き留めておこうと思う。

このブログをずっと読んでいてくださっている方は、以前にも私が、辻さんの話題にふれたことを覚えていらっしゃるかもしれない。

そう、辻さんは、私が大学院時代を過ごし、そして現在勤務している大学の卒業生でもある。そのご縁で、「会報」への執筆をお願いし、快諾いただいたことは前に記した。(2005年10月10日)http://sen-tsuru.cocolog-nifty.com/blog/2005/10/index.html

さらに、辻さんの半生を追ったドキュメントが放映された際にも、取り上げたりした。(2006年8月14日)http://sen-tsuru.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/index.html

そこで、辻さんが語られた第二次世界大戦中、名古屋での空襲の話題から、私の母方の祖父が空襲で亡くなったことにチラッとふれた。

そのときには書かなかったのだけれど、私にとって辻さんは、幼い頃から我が家で耳にする、母の思い出話の登場人物だった。

「辻カン」の息子の「真先ちゃん」が、アニメ脚本家・推理冒険作家・旅行評論家・エッセイストである「辻真先さん」であることを知った(というか、私の頭の中で結びついた)のは、実はずっと後になってからのこと。

私の母は、戦災で失われ、今はもう残っていない名古屋の中心部にあった小学校で、辻さんの同級生にあたる。辻さんは当時から優秀で、有名だったから、同窓生は誰でも知っていて、母ももちろん覚えている。(その逆、つまり辻さんが母を覚えているということはない。念のため)

その小学校の卒業生は、機会あるごとに同窓会を開いていて、私が辻さんのお顔を初めて拝見したのは、その同窓会の際に撮影された写真でだった。

母の実家は、小学校同様、空襲で焼けるまでは、松坂屋(本店)のすぐ近くにあった。漢方の薬屋で、「商売熱心かつ子煩悩」(だった、とは母の記憶)祖父は、近くに借りた倉庫いっぱいに薬を仕入れ、その上の階は、松坂屋の店員さんに、宿舎として貸していたという。

私の家系に先見の明がないことは、とっくの昔に自覚しているので、今さら嘆いても仕方ないけれど、空襲で一瞬にして焼けてしまう倉庫や薬より、土地を買っておいて欲しかったよ。一夜にして、大黒柱と家を失った妻と子どもの大変さは、何度聞いてもやっぱり辛いもの。ちなみに妻(つまり私の祖母)のお腹にはそのとき叔父がいて、あっという間に未亡人となった祖母は、ひとりで6人の子どもを支えなければならなかった。

その夜、隣家に焼夷弾が落ち、燃えさかる火を食い止めようと、祖父と伯母はバケツリレーで消火活動にあたった。そしてそこに再び焼夷弾が落とされ、祖父は即死。伯母は吹き飛ばされはしたたものの、幸い命は助かった。

当時13歳だった母は、女学校の空き時間に友達とこっくりさんをしていて、家が焼けるというメッセージが出たのに慌てて、帰宅するなりすぐに祖父に報告したそうだ。けれど祖父は、子どもの遊び、迷信だと言ってとりあわなかった。焼けたのは、たしかその翌日だったかな。目の前で、ついさっきまで住んでいた我が家が燃えて行く。あんな経験は二度としたくない、とは母の口癖。

ついでに付け加えると、祖父は信じなかったけれど祖母はやはりこっくりさんが気になったらしく、祖父に内緒でいくつか大切な品を娘(母)に持たせ、裏口から自分の実家に避難させた。おかげでそれらだけは被災を免れたそうな。こっくりさんも、当たる?ということか。

迷信と言えば、祖父は若い頃、「はっけいみ」(八卦見のこと)に、水難に注意と言われたとかで、子ども達を海に連れて行くことはしなかった。だから、「私は泳げない、でもそれは仕方ないこと」と主張する。その母が、伯母たちとの昔話で、「水で火を消そうとして亡くなったのも、水難と言えば水難だよねぇ」なんて、言ってたっけ。まぁ、こういう理不尽な運命も、どういう形であれ、納得するしかないんだろうな。

何だか、戦時中の、哀しい思い出話ばかりのようだけど、もちろんそれだけではない。

たとえば、松坂屋が夜間営業(深夜営業ではない)をしていたときには、風呂上がりに浴衣を着て、従姉妹に連れられ屋上でソーダ水を飲んだ。(当時夜間営業というのがちょっと意外)

「子煩悩」だった祖父が、薬を買いに来た若いお嬢さんの洋服が気に入って、どこで作ってもらったのかと尋ねたら、自分で作ったというので、早速うちの娘に作ってやって欲しいとお願いして、作ってもらった。(戦前、いや戦後しばらくまでは、既製品の服というのはほとんどなくて、自分で作るか仕立屋さんに作ってもらうかだった。たしかNHKの調査だったかな、戦前の家事労働時間を見ると、主婦は1年365日、毎日平均2時間は裁縫をしていた計算になるそうな)

隣の歯医者さんの若奥さんは、お風呂を焚く木が無くなった時、新品のまな板を買ってきて、それで沸かしていた。その発想に、母たちはびっくりした。(戦中モノがなくなるというのは、そういうことなんですね)

こういう一連の昔話にしばしば登場するのが、辻真先さんのお父さん、通称「辻カン」さんだった。(お名前の正しい表記を存じ上げず、申し訳ありません)

戦後、市会議員を務められたお父様は、「辻カン」の愛称で市民に親しまれた方である。食べるものがない戦後の混乱期、芋などの食料調達に奔走し、飢えた人々に配られた。そうした挿話は、我が家では、父も加わっての昔話の中で必ず語られる。

何だか話があっちこっちしてしまったけれど・・・・・。

そう、なぜ、胸がいっぱいになったか。

辻さんが、戦争の思い出にふれられるとき、それは私にとって、おかっぱアタマの母が、その後の運命も知らずに、大好きな父親(祖父)と楽しく過ごした子ども時代と重なるから。

当然のことながら、私は祖父に会ったことはない。実家にあった写真はすべて焼け、たまたま親戚に残されていた1枚。お正月の親族集合写真で、その姿を見たことがあるだけだ。でも正直な話、そこに写った風貌に、親近感を覚えることはなかった。

ただ、盆暮れには、子ども達の担任に挨拶するべく、顔が映るほどピカピカに磨いた革靴を履いて出かけた。伯母が食べるたくあんの音がうるさいと言って、音を立てずに(それは無理じゃないの?)食べろと叱った。けれど、勤め始めた伯母の帰りが遅いと言っては、ずっと店の前で帰りを待っていた。店の掃除、とくに店先のガラス窓は、道行く人が驚くほど一点の曇りもないよう毎朝拭いていた。

そういった日常の何気ない一こまを伝える思い出話が、祖父に血肉を通わせ、ほんの一瞬、その存在を身近に感じさせてくれる。

人がその思い出を語る限り、その人は生き続けている。

とはいえ、当然そこには限りがあることも、また事実。

なんという作品の研磨ぶりか。真摯な主題を真一文字に提示するという、ほとんど先天的な名作に接したぼくは、アニメ作品の重量感にうちて深く考えさせられた。単なる描写だけをとっても、あの激烈な家屋炎上シーンは容易な出来ではない。たまたま鉄腕アトム賞の式典で、入院中の手塚の代理を務めたので、高畑に会う機会があった。

「空襲を受けた経験はあるんですか」

「いや、ないです」

戦時下の名古屋で飛行機を作らされていたぼくは、おかげさま?で空襲をうけた経験にこと欠かない。その目から見て、あの場面の凄惨なリアルさには一驚した。SFXの実写では成立しない美しくも恐ろしい誇張が、アニメの表現力なのだ。(P.98)

『火垂るの墓』について書かれたくだりである。実体験がなくとも描くことができるアニメの可能性。だがそれを指摘する辻さんが、身をもって空襲を受けた人であることの大切さを、読み飛ばしてはいけないと思う。

『火垂るの墓』のビデオは我が家にもあるけれど、私は今もってそれを見ることができない。かわりに、まだ幼かった娘とそれを一緒に見てくれたのは、彼女の祖父母、まさに身をもって戦争を体験した、私の両親だった。

本書の最後、「おわりに付け足します」の末尾は次のように結ばれている。

一○年先、二○年先、『ぼくたちのアニメ史』の続編がどう書かれてゆくか、残念ながらぼくは見届けることができまいが、明日のアニメ史を書く主役はあなたたちなのだ。安堵してみなさんにバトンを渡します。どうか末永くアニメを見守ってやってください。

― ぼくはアニメが好きだ。

受け取ったバトンは、さらに未来に手渡されることを、待っている。心しないと。

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2008年3月 2日 (日)

今年度最後の研究会。

昨日は月イチで参加している研究会(←『月庵醉醒記』を読む会)があった。

これまでずっと会場を提供してくださっていたH先生が、今年度で退職されるので、来月から会場も変わる。

H先生には、会場提供にとどまらず、現在刊行中の『中世の文学 月庵醉醒記』上・中・下(三弥井書店・既刊は上)の原稿とりまとめ、出版社との連絡等々、とってもお世話になっている。

ひとくちにとりまとめと言っても、これは本当に煩雑で手間のかかる作業。とくに今回のように、執筆者が多い場合、書式の統一・原稿の催促・出版社との調整、さらに校正ごとの配送・集約などなどなど、数え上げればキリがない。

けれどH先生は、いつも飄々とした雰囲気で、淡々と進めてくださる。本当に、ただただ感謝である。

ところで昨日、研究会に向かう車中でふと思った。H先生をはじめとする『月庵醉醒記』編者お三人に、初めてお会いしてから何年経ったのだろうか、と。

そこで、気付いてしまった。あぁ、気付いてしまったぞっ。flair

すぐに耳元、いやアタマの中で、懐かしいメロディーが流れ始めた。

noteあのとき君は~若かったぁ~note

みなさま、誤解無きように。お三人への感慨ではありません。

あのときのみなさまは、今の私より若かったっっっ。そのことに気付いて、ひとり思わずガーン!thunder

うぅ、なぜに私はこれほど落ち着きがないのか。年々加速度的に、落ち着きがなくなってる。もうこうなったら、反省はサルに任せて、落ち着きのなさを伸ばす、いや、磨きを掛けるしかない。dash

さてさて、そんな反省無きツル。今日は朝から国民の義務を果たすべく、確定申告書を作成しておりました。

あぁ、定率減税が廃止されると・・・・・・こうなるのね。weep

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