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2008年5月23日 (金)

時と歳を超えたデュエット。

先日の「SONGS」(NHK総合・水・23時~)は松田聖子特集でした。とくにファンというわけではないけれど、やっぱり見ちゃいます。インタビューの中で、体力の大切さを語る場面があって、思わず同感。

学年はたぶん1年違いのはず。でも今はちょうど同い年。そう、あれもこれもじゃなくって、「ここぞ!」というところで力を発揮したいというその気持ち、よ~く分かります。だって、残された時間は有限なんですもの。

というわけで、以前から心惹かれていた wii本体とwii fit を、ついうっかり注文しちゃいました。はっはっはっ。人生後半戦、まだまだこれからだもん!

なんて、ひとり盛り上がってたら、人生これからのムスメ帰宅。

曰く。

今日、掃除の時間に、職員室の横の廊下を掃いてて、タオル丸めてマイク代わりにして、

♪あぁ~~私の恋はぁ~~♪

って歌ってたら、職員室から教頭先生が出てきて、

♪南のぉ~~風に乗って走るわぁ~~♪

って続けたんで、いっしょにデュエットしたの。その後、近くで聞いてた友だちに、「赤い」って呼びかけたら、何て言ったと思う?

「ラベンダー?!」だってさ。

きっとその子のご両親は、お若いのでしょう。

では、せっかくの機会ですので、お若い方にも30年の時を実感していただきましょう。

「青い珊瑚礁」  http://jp.youtube.com/watch?v=X0EOzrrjPQk

http://jp.youtube.com/watch?v=2FRGThfvIZg&feature=related

それからもちろん、「赤い」は「スイートピー」。(懐かしや、麗子サン→)

http://jp.youtube.com/watch?v=WCTymg69o9c&feature=related

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2008年5月11日 (日)

読んでみよっと。

定期購読している『日本文学』(2008.5)で、一柳廣孝さんが小松史生子さんのご本を評してらっしゃいます。

一柳廣孝 「屈折する乱歩/変容する名古屋 ―― 小松史生子著『乱歩と名古屋 ―― 地方都市モダニズムと探偵小説原風景』――」

乱歩・・・・名古屋・・・・とくれば、第五中学校のことにもふれられているかな、と見てみると、ありました。

「第3章 原っぱの中の人工楽園」では、乱歩自身の名古屋モダニズム体験を追う。著者がその端緒とするのは、明治四三年、一六歳の乱歩が見た旅順海戦館でのキネオラマの記憶と、乱歩の通学した愛知県立第五中学校周辺の前近代的な空間の記憶である。乱歩は広々とした空き地と、そこに突如出現するモダニズム文化とのアンバランスな様相を、日々味わいながら過ごした。(『日本文学』2008.5、P.84~P.85)

第五中学校、現・愛知県立瑞陵高等学校は、私の出身校でもあります。旧制時代は、大根畑にぽつんと建っていたということで、校名をもじって「ダイコン中学」と呼ばれていたそうです。やがて新制となり、畑がなくなってからも、通う女子高生の足は、昔の面影を残している?!と言われましたっけ。

在学当時、有名な卒業生と言えば、まず最初に名前の挙がるのが、平井太郎こと江戸川乱歩、次が、哲学者の谷川徹三(←詩人・谷川俊太郎さんのお父様)。でも、つづく三人目でハタと止まる、というのが、常だったように記憶しています。

ところが、私の卒業後、そこに新たなひとりが加わりました。いま在学生に質問するならば、たぶんその方がダントツ、真っ先に名前が挙がることでしょう。

もちろん、その方の素晴らしさを讃えることは、大切なことです。旧制と新制という違いはあるにせよ、卒業生を誇りに思うことも、素敵なことだと思います。

ただそのとき、忘れてならないことがあります。自戒をこめて、いま、思います。

それは、30年前、私も含めてほとんどの生徒が、誰もその卒業生のことを、その名前も、その業績も、何も知らなかった。杉原千畝のことを、何も知らなかったということを。senpo-sugiharaの偉業を語り伝えてきたのは、私たちではなかったということを。

母校のHPでその名を目にするとき、誇らしさとともに、チクっとした痛み、後ろめたさを覚えます。

ちょっと話が逸れました。小松さんのご本、早速注文したところです。明治期のダイコン中学校はどんな感じだったのでしょう。楽しみです。

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2008年5月 5日 (月)

漸く5分の3です。

一昨年11月から始めた『女訓抄全注釈』の仕事。

(2006年11月2日ブログ「さぁ、11月♪」http://sen-tsuru.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/index.html

この4月末で、全10章中第7章まで何とか終えることができました。

とは言っても、まだ下原稿の段階です。これから残る3章をやり終え、全体を見通した上で、補訂・増補して行くことになります。ある意味そこからが、注釈書としての真価が問われるところ。刊行は来年、2009年度中の約束。気を引き締めて、励まないとっ。

この『女訓抄』の内容は、実に多岐にわたっていて、たとえば、「第五 しんだいをたもつべき事」という「養生」について述べた章には、次のような日常生活上の注意書きが見られます。

四、ときにしたがひ、おきふす事

そもん経に曰、春三月は、夜更て臥て、朝はやくおきよ。夏三月は、日いづるまで、ふす事なかれ。秋三月は、はやくふして、とりなかばおきよ。冬三月は、はやくふして、おそくおきよ。日出すことなかれ。ふさんには、春夏は、ひがし西にむきてふせ。秋冬は、西北にむきてふせ。口をあきて、ふす事なかれ。ひざをかゞめて、そばさまにふすべし。男は、北かしらにふさず。ふしてのち、やがて火をけす事なかれ。あしをたかき所にかけて、ふさゞれ。ふしたる所に、火ばちをおく事なかれ。

いつ寝て、いつ起きるか、そして寝るときの諸注意あれこれ・・・・。年がら年中、早寝早起きが良い、というわけではないようですね。

初めの「そもん経」というのは、中国漢代に至って体系化された医学書『黄帝内経(こうていだいけい)』の一部である『素問』のこと。中国独自の哲学思想である陰陽五行説を基として、基礎理論を論じた書です。

その『素問』に曰く、とあるので、『素問』そのままかというと、実はそうではありません。どうやら『女訓抄』の本章は、『医心房』や『衛生秘要抄』といった我が国で作られた医学書に近いようです。

そうした関連ある書を参考にしつつ、まずはこの『女訓抄』本文を、ちゃんと理解できるよう注を施して行くわけです。

たとえば、寝ているときに口を開けてはいけないのは、喉が渇くから~、なんていうわけではなくて、(いやもちろん、それもあるかもしれませんが)、『医心方』『衛生秘要抄』などによれば、〈気〉をのがしてしまのを防ぐためと、口中に邪悪なものを入れないため、。

何となく分かる気もするけれど、なぜそうなのか? 理解を助ける注を付けるのは、なかなか難しいです。

他にも、水浴びや爪切りに関して次のように書かれています。

八、つめを治する事

やうじやうえうしふ(養生要集)にいはく、五月五日のあさ、水をくみて、あびよ。未の時を、よしとす。一年に、正月二日、二月三日、三月六日、四月八日、五月一日、六月廿一日、七月七日、八月八日、九月廿日、十月八日、十一月廿日、十二月みそか、おなじく。又いはく、とらの日、あしのつめをきるべし。うしの日、手のつめをきるべし。あしのつめは、さるの日もよし。

そうかぁ~。旧暦のことではあるけれど、今日は水浴びをする日だったんですね。身体を健全に保つ上での注意事項をしっかり守るのも大変だっ! そして、一家の主婦たる者、自分だけでなく、家族の健康への配慮も怠りなく、こうした心得をしっかり身につけておく必要があったということですな。

ところで、さきほどふれた『医心方』というのは、永観2年(984)に丹波康頼(912~995)が編纂し、朝廷へ献上した我が国最古の医学書です。全30巻からなるその内容は、医方・本草・養生など広範なもので、本文は200を超える中国の書物に拠っています。この丹波家は、医家として有名ですが、そうです! あの俳優の丹波哲郎さんは、その末裔にあたられるのですよ~~。

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