2006年4月23日 (日)

お引っ越し!

まだまだ内装工事中ではありますが、新しい部屋がほぼできあがりました。
サイト名は相変わらず「センツルの私だけの部屋」です。

新住所は・・・・
  
  http://chizuru.cafe.coocan.jp/

ひきつづきご愛顧のほど、よろしくお願いします。



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2006年4月10日 (月)

お知らせで~す♪②

全体は以下の7つの項目からなっています。

 1,音やリズムで表現する・・・・・・詩人・作詞家・ラッパーになったつもりで
 2,味わいを表現する・・・・・・・・・・料理評論家・グルメライター・ソムリエになったつもりで
 3,キャッチコピーで表現する・・・・コピーライターになったつもりで
 4,できごとを表現する・・・・・・・・・新聞記者になったつもりで
 5,形と広がりを表現する・・・・・・・・不動産屋・インテリアコーディネーターになったつもりで
 6,からだの動きを表現する・・・・・振付師・スポーツインストラクター・スポーツライターになったつもりで
 7,魅力的に表現する・・・・・・・・・・営業マン・マーケッターになったつもりで

ちなみにセンツルこと榊原千鶴が担当したのは、「1、音やリズムで表現する」です。
ここではまず、詩人高階杞一さんの詩を手掛かりに、散文と詩の違いについて分かりやすく説明しながら音の問題へと進み、さらに同音異義語や押韻(韻を踏むこと)にふれ、最後にはDef Techにもご登場いただいて、読者のみなさんにも、ラップのリリック(詩)、ライミングに挑戦していただくことにしました。
ラップなんてムリ、ムリ、と言っているあなた。30分もあれば、オリジナルのリリックができるなんて信じられますぅ~?! でも、できるんですよ。
図版や写真もたくさん盛り込んで、高校生・大学生から成人まで、幅広い層の方々に、

 「表現することの楽しさと喜びを実感して頂ける一冊」

となることをめざして、メンバー一同、あれこれ知恵を絞り合いながら作りました。
ぜひぜひ一度、お手に取って頂いければと思います。


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お知らせで~す♪①

ようやく出来上がりました!!
このホームページでも、編集状況を随時綴っておりましたその名も、

『日本語上手。― ひと味ちがう表現へ ―』

名古屋大学日本語表現研究会・編、責任編集は馬場伸彦さん(甲南女子大学)、
三弥井書店発行、定価は1500円+税ナリ。
来週か再来週には大きな書店の片隅でご覧頂けるハズ。

装丁と造本は、雑誌「旅」などでもご活躍の田端昌良さんにお願いしました。スッキリとしたシンプルなデザイン、イメージは、「日の出」でしょうか。手にとった感じがこれまた馴染むんですねぇ~。総ページ数142、通勤通学の合間にも気軽に持ち運んで読んで頂けるA5サイズです。
帯文は「タモリのジャポニカロゴス」「トリビアの泉」などでもお馴染みの言語学者・町田健先生が書いて下さいました。
曰く、・・・・・「これまでに類書のない画期的な本です」・・・・・ハイ、その通り!

めざしたのは、日本語表現版「ハローワーク」とでも言えばよいでしょうか。
もちろんこの本を読んだからといって、すぐに希望の職種に就けたり、自分の適性が分かるというわけではありません。そうではなくて、実際の職業のなかで実践されている実用的な「スタイル」を使って、「伝える」ための文章表現に楽しくチャレンジしてみようという試みなのです。

つまりは、「○○に、なったつもりで日本語上手。」ということなんです。


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2006年3月15日 (水)

明日への手紙。②

 ところで、こうして記している小文も、こののち編集を経て、やがて3月にはあなたのお手元に届くことになります。その日あなたは、どんな一日を過ごしていますか。郵便ポストに小さく響く音に誘われて、すぐに封書を手に取り読み始めているのでしょうか。いや、疲れ切ったからだを携えて、仕事先から漸くのこと我が家に辿り着き、ただぼおっと机の上に置かれた封書を眺めているだけかもしれません。昨日とさほど変わらぬ一日だったとしても、皆にひとしくもたらされた24時間です。
 読んで下さったあたなに、一日の達成感と共に穏やかな眠りの訪れることを願っています。目覚めた朝には、輝く一日が待っている、そう信じられる勇気がもてますように。そう、わたしのもとにも「かはなやま」は届きます。できればそのとき、この文章を書いたことさえ忘れているほどに、一生懸命な「いま」を過ごしていたいと思います。今日よりもさらによりよき明日をめざして。  

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明日への手紙。①

久々の更新です。なぜさぼってたのか?って、そりゃもちろん、やらなければならないお仕事がなかなか終わらなかったからです。漸くそれらにひと区切りをつけて、さてさて更新と相成りました。ただし今回は、母校の会報に記した文章を転載することにしました。季節は春、新たな旅立ちのときです。


明日への手紙

 今日は2006年1月28日、土曜日です。新しい年も1ヶ月が過ぎようとしています。昨年末に「かはなやま」への執筆を命じられ、締切を数日後に控えた週末の今日、パソコンに向かうことにしました。聞けば「かはなやま」は本号をもって終刊となる由。最終号となるならば、南山での思い出を、大学で過ごしたかつての日々を、静かに記しとどめるのがふさわしいのかもしれません。けれどもそこはそれ、生来の天の邪鬼です。過去を語ることは、あっさりとやめることにしました。
 たしかに、「思い出」や「過去」ということばは、ときに魅惑的です。けれども、過ぎ去りし日々に思いを馳せ、心の奥にこみ上げてくる思いを語るその瞬間にも、時は確実に刻まれています。遥かな「あのとき」を、辛く切ない思いや、甘美な香りに結びつけているのは、まぎれもなくいまの私にちがいありません。いまこのときに生きるシアワセを、十分に味わい尽くせているならば、過去のすべては感謝の思いに包まれ、微笑みとともにあるだけです。あのとき感じた悲しみも喜びも、わたしという人間のなのに注ぎ込まれ、そしていまのわたしを形作ってくれています。ならば、過去、ではなく、いまを、いまこの瞬間を、しっかり見つめたいと思います。


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2006年2月 4日 (土)

〈時を駆けきれない中年〉

論文を書き始めた。少しず~つ少しず~つ、生まれ年にならってまさに「牛歩」、いつもながらの遅筆です。
ところが、書き始めた翌日に以前書いた論文1本、さらにその翌日には共著1冊、いずれも再校刷りが届いてしまった。1冊の方は、担当箇所のみだからたいした分量ではないけれど、校正は校正。「寡作の人」(って書けば重厚そうだけど、実はたんなるナマケモノ)のワタシにとってはなんともキツイ。
なんせ自他共に認める飽きっぽい人間である。書き上げたところですでに終わった「はず」、お別れを言った原稿に再び向き合うなんて。どどっと滅入る。過去の悪事の後始末、とでも言えば良いのかな~~、あぁぁ。でもやらないわけにはいかないし。で、思わず逃避行動、気付けばコレを書いてます。
おまけに今回は、書きかけの論文が明治二十年代、つまりは19世紀末を扱っていて、校正する論文は室町末、16世紀後半で、短い共著分が現在、まごうことなき21世紀。もう、足がもつれて、いや、アタマの中がスクランブル交差点になってて、黄色信号点滅中!
ならなぜ書いた? なぁ~んて言わないで。だから言ったじゃない、どーしようもなく飽きっぽい性格だって。あちこち飛び跳ねていないとどうも調子がでないのよ。実は隠れ酉年?(そんなのないかっ)。
まっ、書いた以上は責任をとらねばなるまい。昨日は一応マメ撒いて、「福はうち~、福はうち~」を連呼したし、仕方あるめぇー、悪事の片を付けるとしようか。

*お知らせ*
掲示板に不適切な書き込みがあり、削除しようとしましたが、パスワードを忘れてしまいました。
(相変わらずの、間抜けです)
3月中には新しいHPを作成する予定でもありますので、しばらく(いや、ずーっとかな?)掲示板は休止とさせて頂きます。


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2006年1月22日 (日)

小休止♪ ②

まっ、戦後の行き過ぎた?個人主義が利己主義に変質?してしまい、結果的に家族や共同体の崩壊につながり、近年、さまざまな社会問題となって顕在化してきた、という論理を展開する人にとって、家族を「個」に解体した24条は諸悪の根源ってことになるのでしょう。だから、中里見氏がネーミングするところの「家族における忠孝一貫教育」による家族への奉仕、そして当然その先にあるのは、国への奉仕、ということになるわけね。
改憲論というと、すぐに9条が頭に浮かぶけれど、提示された資料を見て、24条に言及するそれがいかに多いかに驚いた。曰く、道徳的退廃が少子化現象に密接に結びつく??? マッカーサー、GHQは、日本の強さは家族とかコミュニティー、共同体にあると考えて、それを一番に破壊せねばということで、徹底的な個人主義を持ち込んだ??? 何だかすごい話しになってる。風が吹けば桶屋が儲かる、なのか。敵は本能寺にあり、なのか。
そんな文言飛び交う配布資料のなかで、わたしがじっと読んだのは、ベアテ・シロタ草案だった。もちろん24条の制定にあたって彼女のはたした役割については、多少は知っていたけれど、改めてその存在の大きさを思った。
というわけで、ベアテ・シロタ・ゴードン『1945年のクリスマス』(柏書房)と、中里見博『憲法24条+9条―なぜ男女平等がねらわれるのか―』(かもがわブックレット)を注文し、・・・・締め切り迫りつつある原稿に・・・・向かわねばっ!!

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小休止♪ ①

“魔の1月”である。1年12ヶ月のなかで、心身ともにどぉ~んと落ちるのが私にっての1月だ。2月に入って豆まきをし、もう少し、もう少しと唱えて静かにしていると、徐々に復調というのが例年の過ごし方。今年はいまのところ落ち込みの度合いが少ないので、助かっている。ときに周囲が磨り硝子の向こうに見える、プラス、風邪程度で落ち着いている。これくらいで済んでいるのは、上昇期のなかの踊り場状態かもね、と思えるのは、まさしく軽度の表れ、ということですね。

ところで、先々週、学内で開催された講演会に参加した。

題目「憲法24条+9条 ―なぜ男女平等はねらわれるのか―」
講師は福島大学教員の中里見博氏。

24条と9条に加え、14条第1項と25条をも含め、それらとの関連から、あらためて24条の「積極的で現代的な意義」を論じる内容は、明快でとてもわかりやすかった。ちなみにご存知の通り14条は法の下の平等を説いたもの、25条はといえば、たとえばその第2項には、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」とある。主語はあくまでも、「国」ね。
中里見氏が指摘する「①政府が家族を政治的に利用することを禁止」「②家族内優位者から家族構成員を法で保護」、このふたつを24条の現代的な意義と考えた場合、〈家族保護〉を主張することで国家の責任を家族のそれへと転嫁させたい、要するに政治的に家族制度を利用したい人たちにとって24条は、何とも目障りなものってこと。たとえば読売新聞社が2004年に発表した改憲試案では、先の25条第2項に相当する箇所は、「国民は、自己の努力と相互の協力により、社会福祉及び社会保障の向上及び増進を図るものとする」となっていた。主語は、「国」ではなく「国民」ね。社会福祉、社会保障、これらは国民、きみたちの自己責任! 家族仲良く協力して頑張ってね、ってこと、なんざんしょう。

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2006年1月 8日 (日)

今年もよろしくお願いします。

2006年もすでに8日が過ぎようとしている。年末年始はやがて締め切りの訪れる原稿執筆に向けて、考え、読み、また考え、ほぼそれで過ぎた。その意味では例年になく幸せな時間を過ごせたことになる。当然ながら、まだまだ書き始めるまでには至っていないけれど、ずっとずっとそのことを考えていられたことは、何よりのシアワセ。
これまで主に研究対象としてきた時代と異なることもあり、苦闘中ではある。でもでも、書く機会を与えていただいた、そのことに感謝、感謝。なぜって、わたしに何ができて何ができないのか、冷静に見つめられるチャンスでもあるから。できなきゃ、知らなきゃ、学べば良いし、考えれば良い。そうそう簡単に、結論らしきモノが得られるわけではないし、それではそもそも面白くない。つねに問題は、「つづく」のであります。
馴染みのない時代の出来事を、気付くままに年譜に書き込んで行く。時代の雰囲気を自分なりに思い描き、一瞬でもその空間に身を置いてみたいから。もちろんそれは錯覚に違いないけれど、やっぱり浸らないと、アタマもペン、いやキーボードを叩く指先も、進まない。ついでに関連資料を検索すると、これがもうイケナイ。もちろんモノにもよるけれど、明治大正の出版物って、わたしでも手の届く金額なのよね~。見たくなる、さわりたくなる。あぁぁ。財布が軽くなる。
すでに先週から仕事は始まったけれど、いよいよ今週から本格始動。運動不足で付いた贅肉を落とし、ついでに心の贅肉ともおさらばして、今年も楽しく生きましょう!

って、それは確かにそうなのだけれど。この冬休み期間中にしようと思っていたHPのお引っ越しは結局できぬまま。ニフティのHPサービス終了期限がヒタヒタと迫っている。う~ん、こりゃぁ、春休みだな。


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2005年12月29日 (木)

行ってきました!熱田神宮。

今年1年のお礼参りということで、熱田神宮に行ってきました。
国道1号線沿いに歩いて行くと、母校ならぬ母園? 白鳥幼稚園の園舎も垣間見えて、懐かしい~~。小学生になっても、土曜日ともなれば友だちとふたり、お米少々を片手に往復1時間の道のりを神宮界隈散策に出かけたものです。もちろんお米は鳩のエサ用です。隣接する図書館で本を手に取り、帰りはうらぶれた商店街を覗きながら家路に着く。学区内と小学校の図書室しか知らない子どもにとって、この半日コースはそれなりにわくわくする時間。のどかな時代でした。
さて、今年。年の瀬も押し迫った境内は、初詣の準備が着々と進行中。拝殿まで100㍍、50㍍の標識を横目に、閑散とした境内をズンズン行くと、警備員のおじさんが軽く会釈してくれました。引いたおみくじは「吉」。

心機一転すればよし。人に嫌われる己の意見は速やかに改めよ。心を開き、他人の意見に耳を傾け、誤りを正せば幸いに逢う。利己心は捨てよ。

誰にとっても、それはそうに違いありませんね。とは言え個人的には、「願望→早く叶う」「学業→広く学ぶがよし」「待人→必ず来る」とありましたので、今年にもまして、心を広く広く開放して、前進あるのみです。おみくじもしっかりお財布に入れて、ときどき眺めることにしましょう。
ところでみなさんはご存知でしょうか。参拝を終えて右方向に進むと、戻る右手の道ともうひとつ、左手になだらかに下って行く道のあることを。しばらく石段を下りると行き止まりに見えるのですが、そこからさらに数段下がったところに清水の湧き出ている場所があります。左右それぞれに柄杓が用意してあって、ついでに白木のお賽銭入れもあったりして。この柄杓で清水を汲み、2~3㍍先にある小ぶりの岩めがけて水を撒いて下さい。水しぶきがうまく岩にあたれば願いが叶うそうです。わたしは子どもの頃から何度となくやっております。無心になってすんなり水が弧を描けば、気分もウキウキ。ぜひおためしあれ!

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